屈伸 開発者の声
第六回「あかままさお」さん
屈伸



 はじめまして。 < あかままさお > です。

 他の出演者のみなさんとはスタイルがちょっと違いますが、『ぽけぷよSUN』開発について今だから言える、ってことを思い付くまま書いてみたいと思います。しばらくの間お付き合いただけたら、嬉しいです。
 では、まず…


○プロジェクト発進
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 倒産報道の余韻もさめやらぬ1998年4月21日、プロジェクトがスタートしました。このプロジェクトに課せられた使命は98年末発売予定の『GB版ぷよSUN』の開発です。販売目標は10万本、開発期間は約5ヶ月です。会社もこうなったことだし、挑戦しがいのあるプロジェクトだと思いました。しかし問題がひとつあったとすればそれは、すぐに使用できるGB用開発機材が一つもなかったということです。
 おりしも倒産騒ぎのまっただなか。すぐに購入するというわけにもいかず、同業他社様に貸してもらえないか交渉してもらったりして、( 結局は任天堂様から購入したのですが ) 手に入ったのはFIFAワールドカップで日本代表の予選落ちが確定する頃でした。

 これが最初の小さな波にすぎなかったことに気付くまでに、それほど時間を要しませんでした。


○『ぷよSUN』じゃ売れない!?
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 20万本近く売れている前作『ぽけぷよ通』との差別化が最大の課題だと企画当初から思っていました。弊社ぷよマスター < かむきひ > からも「『ぷよSUN』というタイトルはやめた方がいいのでは」というアドバイスを受けました。『SUN』シリーズ最大のウリが「攻撃カットインディスプレイ」で、ご存知の通りGBでの再現はほとんど不可能だからです。
 弊社社長 < MOO > や営業販促担当とのミーティングでの「『ぷよSUN』というタイトルで問屋様には充分なウリになる」的な意見は、筆者の不安を増すばかりでした。

 「相手を邪魔できる対戦なぞぷよ」や「太陽ぷよの落下を相殺直後に変更」や「『ぽけぷよ通』との対戦 」などゲームとして自信のある企画はいろいろ用意したのですが、「攻撃カットインディスプレイ」と比べるとウリとしてはちょっと地味です。
 しかし、悩んでばかりいても仕方ないので「いいものを作れば必ず売れる ! 」と信じて、プロジェクトを進めることにしました。


○カラーだ !
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 『ぽけぷよSUN』というタイトルが決まり、「対戦とこなぞ」制作と、予想外に苦戦するブラジルや予想外に善戦するフランスの試合による睡眠不足に日々が過ぎてゆく中、任天堂様の技術説明会に出席しました。
 そこで出会ったのはGBカラーでした。見るなり「欲しい ! 」「これは売れる ! 」そして「『ぽけぷよSUN』をカラー化しよう ! 」と思いました ( もしかしたら口に出していたかも知れませんが )。
 「カラー対応 ( でGBカラー需要での新規ユーザーをつかむ ) 」と「『通』対戦対応 ( でGBカラーを買い増した『通』ユーザーもつかむ ) 」がメインのウリにできて、とても分かりやすくてイイ感じです。

 この時点で開発期間は残り約3ヶ月でした。しかもGBカラー用開発機材をこれから発注しようというんですから、今考えるとよく決心できたものだと思います。


○仕様変更の嵐
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 大詰めのJリーグ1stステージで首位ジュビロ磐田を鹿島アントラーズが猛追している頃、関係各位の御取り計らいにより無事GBカラー開発機材を入手することができました。

 予定していた企画仕様を大幅に変更して、カラー化の作業へスケジュールを組み替えなければなりませんでした。特にグラフィック担当の < けみ > < 桜河内 > には仕事とはいえ「モノクロ版没 &カラー版追加」という状況になってしまったことを今でも申し訳なく思っています。「認定証イラスト」はこのときに追加されたものの一つです。
 なくさざるを得なかったのは「プリンタ対応」です。あと「通信とボイスの共存」も研究中だったのですが実用には至りませんでした。今後にご期待くださいませ。

 ちなみに鹿島はそのあと、今は亡き横浜ASフリューゲルスに逆転負けを喫し、優勝戦線から脱落してしまいました。筆者が足を運んだサンフレッチェ広島戦でも逆転負けでした。この試合で1点目を挙げた鹿島MF増田はその得点直後負傷 ( 右脚骨折 ) で退場し、98年を棒に振りました。がんばれ増田 !


○取説画面写真の甘い罠
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 そうこうしているうちに、取扱説明書用に画面写真が必要になってきました。ところが開発機材上では、まだモノクロ版の画面しか表示できていなかったのです。カラー用のグラフィックは完成していたので、それを組み合わせて完成予想カラー版画面を作って、なんとか取説の締切を間に合わせることができました。
 取説の画面写真に合わせてゲームを作るという、本末転倒な作り方をせざるをえなくはなりましたが、ピンチは回避できたかのように見えました。

 さて、ゲームのカラー化も進みテストプレイも始まったある日、「おじゃまぷよと黄ぷよが見分けにくい」という報告がありました。おじゃまぷよは黒縁でその中が白、黄ぷよは黒縁の中が黄色です。たしかに見分けにくいかも… よし、見やすいグラフィックに替えよう ! いや!? そうなると取説写真と食い違ってしまう ! しかし… でも…
 結局、おじゃまぷよを見やすいグラフィックに変更することにしました。悩みに悩んだ末の決断でした…というのはウソで、あっさり決めました。取説写真より本物のゲーム画面の方が大事に決まってますから。
 黒縁付きおじゃまぷよが取説写真でしか出てこないのはそういうわけなんです。


○宇治工場へ持ち込んだROMがNG !
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 なんて恐ろしい見出しなんでしょうか。しかも事実です。それは開発の最終段階でのことでした。

 3日間で4時間睡眠という状態で作業していましたが、それでも弊社営業部のマスターROM持ち込み担当者にそのROMを持っていってもらった時、すでに当初の提出予定日からは1日が過ぎていました。
 安心したのも束の間、なんとその数時間後には弊社テストプレイ班により進行停止系のバグが発見されたのです。任天堂様のご厚意によりその翌朝、バージョン2を直接工場へ持っていってもらうことになりました。
 しかし好事魔多し! なんとそのバージョン2にも昨日のものより酷いバグが潜んでいたのでした。さらなる任天堂様のご厚意によりさらにその翌朝、バージョン3を提出させていただくことができました。

 しかし驚くべきは、それにもかかわらず予定通り発売日に『ぽけぷよSUN』が店頭に並んでいたという点かもしれません。このプロジェクトのことを本当に愛し心配してくれたみなさんのおかげだと思っています。
 この5日間のことは一生忘れられないでしょう。


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 以上、多少脚色した部分はありますが、ほぼすべてが事実です。
 ここには書けなかったり書ききれなかったりする話はまだまだありますが、筆者の夜遊びの都合もありますのでこのへんで終わらせていただきます。
 では、またいつかお会いしましょう。



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